1万年前から引き継がれている人類の6つの問題

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遊動生活

人類は400万年の歴史の中で、そのほとんどを狩猟採取生活(遊動生活)で過ごしてきました。
獣を狩り、果実などを採取し、その場所の食べ物を食べ尽くすと、食べ物を探すために場所を変える
そのように移動を繰り返しながら飢えを凌いで生きてきました。

今のように、住む場所を決めて、食べ物を栽培するという、いわゆる農耕牧畜生活(定住生活)をするようになったのは1万年前からと言われています。

おそらく、このライフスタイルの変化は人類史上で最も大きな変化だったのではないかとおもわれますよね。もはや人類最初の革命といってもいいかもしれません。
だって、僕ら今から遊動生活に移行できます??って感じですよね?

今回は國分功一郎先生の著書『暇と退屈の倫理学』から、今の僕らにも無関係ではない問題と思われる部分を一部、引用・抜粋してご紹介させて頂こうと思います。

すこし、長くなってしまいますが、是非読んでみてください。
考えたことのなかった新たな発見の可能性が大いにあると思います。

※國分先生が書籍本文にも書いていますが、参考になさったのが人類学者・西田正規先生の提唱する仮設「定住革命」だそうです。

退屈を知らない頃の人類

人類と遊動生活

人類と遊動生活

 サルや類人猿は他の動物たちと同様、あまり大きくない集団をつくり一定の範囲内を移動して暮らしてきた。どれほど快適な場所であろうと、長く滞在すれば荒廃する。食料はなくなるし、排泄物で汚れてしまう。だが頻繁に移動すれば、環境を過度に汚染するのを防ぐことができる。
汚染された環境もしばらくすれば元に戻る。時間が経ったらまたそこに帰ってくればいい。
 このように移動しながら生きていく生活を遊動生活と呼ぶ。遊動生活は高い移動能力を発達させてきた動物にとって、生きるための基本戦略だった。
 さて、この遊動生活の伝統は人類にも受け継がれた。人類は長きわたり遊動生活を行ってきた。一所に定住することなく、大きな社会を作ることもなく、人口密度も低いまま、環境を荒廃させぬままに数百万年を生きてきた。
 ところがその生活様式があるときに大きく変わった。人類は一所にとどまり続ける定住生活を始めたのである。約1万年前のことだ。人類は約1万年前に中緯度帯で定住生活を始めたことがわかっている。

暇と退屈の倫理学 國分功一郎 著

人類の歴史は何百年とあるのに、いまのような定住生活をするようになって、まだたったの約1万年しか経っていないって驚きですね・・・。
まだ定住生活に慣れてきていないといってもいいのかもしれません。
また、こんなことも書いてあります。

遊動生活についての偏見

遊動生活についての偏見

遊動生活は一般的にこんな風に考えられていないだろうか。遊動生活を行っていた人間は、定住したくても定住できなかったのだ、と。人間は本来は住む生き物だが、住むためにはさまざまな経済的基盤が必要になる。だから、そうした経済的基盤をまだ手に入れていない、発展途上の遅れた人間たちが非定住を強いられ、遊動生活を行っていたのだ、と。

中略

そして遊動生活者について、彼らは定住したくても定住できなかったのだと考えても当然だ。
 しかし、遊動生活者は、本当に、できる事なら定住したいと考えていたのだろうか?
 定住生活のための経済的基盤と言うときに、真っ先に出てくるのは農業などの食糧生産技術のことだろう。では遊動生活者は、畑を耕すなど、時間をかけて食料を手に入れる技術を身につけていないために、仕方なく移動する生活をしていたのだろうか?
 すこし立ち止まって考えてみてもらいたい。人類は長い遊動生活の伝統の中でホモ・サピエンスまで進化してきた。その人類が「いつの日は定住するぞ!」と願い続けてきたなど考えられるだろうか?何百万年も不都合な生活に耐えてきたなどと考えられるだろうか?
 むしろこう考えたほうがいいのではないか。人類の肉体的・心理的・社会的能力や行動様式は、むしろ遊動生活にこそ適している。だからこそ、何百年もの間、遊動生活を続けてきた、と。

暇と退屈の倫理学 國分功一郎 著

僕ら、現在を生きるほとんどの人類は、定住生活をしていますね。
そのため、定住生活者目線で物事を考えてしまいがちです。
大昔の人類は「定住したくても出来なかった」とか「どうやって定住生活できるようになったのか?」
そんな風に、どこか上からの目線で人類のご先祖様を下にみてしまってはいないだろうか?

約1万年の間、定住生活をしてきた僕らが今から遊動生活をしろと言われても、まぁ無理でしょう。
何百万年も遊動生活をしてきた人類が「定住生活が出来るようなってきた」からといって、それまでの生活様式をすてて、定住生活に進んで移行していったとは考えにくいのではないか?

経済的事情のために定住生活が出来なかったんじゃなくて、遊動生活を維持することが困難なったから、やむを得ず定住化した、って考えられますよね??

僕にはこの考えはなかった・・・というか、そんなこと考えたことなかったです。
教科書で教わった通りに信じていたし、当時は教科書を疑うという発想もなかったです・・・。
むしろ、オハズカシイ話ですが、そんな昔のことなど気にしたことすらないまま大人になりました。

最近、自分で気づいたんですが、「自分って昔の事に興味の湧く人になったんだなぁ」って感じです。

それでは、遊動生活から定住生活に移行したことで起こった、僕らにとって重要な6つの革命的出来事と、その問題点をご紹介します。

定住生活の6つの問題点

定住生活

人類が定住生活を始めることで、それまで問題にならなかったことが大きな問題として人類に影響を与えることになります。
國分先生のお考えでは、それが以下の6つの革命的出来事。

  • ごみ革命・掃除革命
  • トレイの革命
  • 死者との新しい関わり方
  • 社会的緊張の解消
  • 社会的不平等の発生
  • 退屈を回避する必要

以下で詳しくご紹介させて頂きます。

ごみ問題・掃除問題

ごみ革命・掃除革命

ごみ箱

現在を生きる僕らは、ゴミはゴミ捨て場へ捨てるし部屋の掃除もする。
生活環境の汚染を防ぐために、それが当たり前ですよね。

ですが、遊動生活者の視点で考えれば、「まさに考えたことすらない事」だったと思います。

現在では多くの文明国がゴミ問題を抱えていて、どの国もなかなか良い解決策に辿りつけていません。
しかし、これは当然と言えるかもしれません。
食べた食べかすを放り投げておけばよかったものを、決まった場所に分別して捨てるなんて風習などなかった人類が、あらたな習慣を強いられたのから、それは困難に決まっています、
その時の困難が今日にも受け継がれています。

「ゴミを捨てられない人」、「部屋を掃除できない人」がいることは過去の歴史と遺伝的要素の証拠なのかもしれませんね。

洗濯されたジーンズの微細な繊維は、海に流れ込んで堆積している:研究結果

ジーンズなどのデニム生地を洗ったときに抜け落ちる微細な繊維が、北極海の海底にまで堆積している──。そんな驚きの研究結果が、このほど論文として公表された。綿のような有機繊維は時間が経てば分解されると考えられてきたが、必ずしもそうではないらしい。遠くまで運ばれて堆積するほどの耐久性があるなら、こうした繊維の流出を防ぐ手立てが求められてくる。

ヨガパンツや伸縮性のある靴下といった合成繊維の衣類に含まれるマイクロファイバーが洗濯の際に抜け落ち、下水処理場で処理されないまま自然環境へと流出してしまう──。そんな話を聞いたことがある人もいるだろう。実際に深海から沿岸水域、大西洋の海面まで、科学者が調査に向かった先々で、全長5mm以下の小さな繊維が見つかっている。

一方で、ジーンズの綿のような有機繊維は化学繊維ほど長く自然環境に残留せず、時間が経てば分解すると科学者や環境保護活動家は想定していた。

残念ながら、その想定は甘かったようだ。人間の活動から遠く離れたカナダ北部の北極海の堆積物サンプルから、このほど青いデニム生地の繊維が大量に発見されたのだ。トロント大学の研究チームが学術誌『Environmental Science and Technology Letters』において、9月2日(米国時間)に論文として明らかにしている。

引用:WIRED

上のニュースをご存知の方も多いかと思います。
僕らの洗濯排水の中の繊維が海流に乗り、遠く離れた北極海まで流れ着いていたなんて驚きですよね。
しかも分解されていない・・・。

僕の尊敬する人達の楽曲の歌詞にこんなものがあります。

手にしているものがどこから来たのかも知らず
棄てたものがどこへ流れてゆくかも見届けない

引用:B’Z「CHANGE THE FUTURE」 作詞:KOSHI INABA 作曲:TAK MATSUMOTO

簡単な問題ではないですが、できる事からなにか始めるべきですね。

なかなか自分で出来ない人のための人の手を借りられるサービスもあるので、どうしようもないときはご利用ください。

トイレの問題

トイレ革命

トイレ

子どものしつけで一番大変なのが、トイレで用を足すのを教える事だと言われています。

オムツをつけた幼児であっても、どうすれば自分の欲求をかなえてもらえるかを考え行動しますよね。
これは生物的には極めて高度な行動を獲得していると言えます。
しかし彼らはトイレで用を足すことがなかなかできないんです。
周囲の粘り強い指導のもとでやっと獲得できる習慣です。

言われてみれば、酔っ払っている人や認知症の人などがトイレ以外で放尿してしまうエピソードは聞きますよね。

そして、食べたことを忘れて、また食べようとするエピソードは聞くけど、食べてないことを忘れて食べた気になるってエピソードは聞かないですよね…。これって動物的本能に由来してるんでしょうか…

決められた場所で排泄を行うという習慣が、人間にとって少しも自然でないことのあらわれに他ならないのではないでしょうか
だからこそ、こんなに習慣にすることが困難なんじゃないか、ともいえると思います。

死者の問題

死者との新しい関わり方

墓場

遊動生活者が死体と共に移動するのは困難・・・いえ、ほぼ不可能でしょう。
死体は置いていかれることでしょう。
ですが、定住生活者は、そこらへんに置いたままにしておくことはできません。
特別の仕方で、死体を置いておく場所が必要になります。
いわゆる墓場です。

 こちらに生きている者の場所があり、あちらに死んだ者の場所がある。定住は、生者と死者の棲み分けをもとめる。
 すると、死者に対する意識も変化するだろう。あの場所にあいつの体がある。でも、あいつはどこに行ってしまっただろう・・・。
 死体の近さは、死者だけでなく、死への思いを強めるはずである。それは、やがて、霊や霊界といった概念の発生につながることだろう。それは宗教的感情の一要素となる。

暇と退屈の倫理学 國分功一郎 著

昨今、墓じまいをする方が増えてきているというニュースをたまに耳にします。
若い世代を中心に、墓参りに行かなくなり管理が疎かになり最終的には墓じまいに至るそうです。

また、最近ではマンション型のお墓も増えてきていますね。
「自動搬送式納骨堂」などと呼ばれています。

住宅環境にもよりますが昔ながらの仏壇を置かないお宅も増えてきているようです。
最近ではペット用の仏壇というのもあるようです。
ご家族の一員である愛犬・愛猫たちに祈りを捧げる場を家の中につくることができますね。

出典:株式会社八木研

人間関係の問題

社会的緊張

社会的緊張の解消

現代の定住社会では人間関係で問題が起きても、当事者が簡単に引越しや転校、転職などをすることができません。
学校や会社、ご近所などでトラブルが起きた場合は不満やストレスが蓄積していきやすいと言えます。

 不和が激しい争いになることを避けるために様々な手段を発展させる必要がある。「これはしてもよい」「これはしてはいけない」といったことを定める権利や義務の規定も発達するだろう。
 争いが起こった時には調停が行われるだろうが、そこで決定した内容を当事者たちに納得させるための拘束力、すなわち何らかの権威の体系もはぐくまれることだろう。法体系の発生である。

暇と退屈の倫理学 國分功一郎 著

格差の問題

遊動生活者たちは一般に狩りで得た食料は平等に分けていて、道具も貸し借りしていたそうです。

社会的不平等の発生

社会的不平等

 遊動生活においては大量の財産は持ち運べない。いや、そもそも大量の財産を持つ必要がない

中略

 定住生活は食料の貯蔵を前提としている。これは私有財産という考え方を生む。また、貯蔵は当然、貯蔵量の差を生む。ここから経済格差が生まれる。そして経済格差は最終的に権力関係をもたらす。自らの財を用いて、人を使用(雇用)できるようになるからだ。財力のあるものはその定住のコミュニティーの権力者になる。
 すると盗みなどの犯罪も発生するに違いない。もたざる者はもてる者から分捕ろうとするからだ。こうして、法体系はよりいっそうその必要性を増す。法秩序は文明の尺度の一つであろうが、これが定住という現象と強く結びついていることが分かる。

暇と退屈の倫理学 國分功一郎 著

なるほど、一所にとどまる定住生活を始めた途端に現代でも大きな問題となっている格差がうまれ、
その結果、犯罪がおき、法律が誕生したわけです。
これは、納得ですよね。そりゃそうなるわけです。

とある、AIが導き出した答えに、こんなものがあったそうです。
「人間社会がうまく回るのに多少の格差があったほうがいい」と。

この問題も、現代でもなかなか完璧な解決策が見出されていない・・・。
僕ら人類が生み出した問題なので僕らが解決しなくてはいけない問題ですね。

退屈の問題

さて、ここでやっと本のタイトルにも含まれている「退屈」というワードが出てきましたね。

退屈を回避する必要

 さて、ここまで定住化が人間にもたらした変化の一部を上げてきたが、本書にとって最も重要であるのは次の点だ。定住によって人間は、退屈を回避する必要に迫られるようになったというのである。どういうことだろうか?
 遊動生活では移動のたびに新しい環境に適応せねばならない。新しいキャンプ地で人はその五感を研ぎすまし、周囲を探索する。どこで食べ物が獲得できるか?水はどこにあるか?危険な獣はいないか?薪はどこでとればいいか?河を渡るのはどこがいいか?寝る場所はどこにするのか?
 こうした新しい環境に適応しようとするなかで、「人の持つ優れた探索能力は強く活性化され、十分に働くことができる。新鮮な感覚によって集められた情報は、巨大な大脳の無数の神経細胞を激しく駆け巡る事だろう。」
 だが、定住者がいつも見る変わらぬ風景は、感覚を刺激する力を次第に失っていく。なくした己の探索能力を発揮する場所を失っていく。だから定住者、行き場をなくした己の探索能力を集中させ大脳に適度な負荷をもたらす別の場所を求めなければならない。
 こう考えれば、定住以後の人類が、なぜあれほどまでに高度な工芸品や政治経済システム、宗教体系や芸能などの発展させてきたのかも合点がいく。人間は自らのあり余る心理能力を吸収するさまざまな装置や場面を自らの手で作り上げてきたのである。

中略

 定住民は物理的な空間を移動しない。だから自分たちの心理的な空間を拡大し、複雑化し、その中を「移動」することで、持てる能力を適度に働かせる。したがって次のように述べることが出来るだろう。「退屈を回避する場面を用意することは、定住生活を維持する重要な条件であるとともに、それはまた、その後の人類史の異質な展開をもたらす原動力として働いてきたのである。いわゆる「文明」の発生である。

暇と退屈の倫理学 國分功一郎 著

少し難しい話の様に感じるかもしれませんが、考えようによってはいたってシンプルです。
移動しなくなったから、なにもしなくてもいい暇な時間が出来て、退屈していたから色々な物事を考ええはじめ、今日に至る。って感じでしょうか。

今日に至るまでの約1万年、色々なことがあったと思いますが、僕らにはすべてを知ることはできません。
色々な分野の学者の方たち、研究者の方たちの功績で、色々なことが分かってきてはいます。
数百年前の人類に降りかかったことがこれからの僕らに降りかからないとは言い切れません。
先人たちに学び、今を生きる必要があるのかもしれませんね。

僕の尊敬する人達の楽曲の歌詞にこんなものがあります。

人は過去に学び 前に進むはずだ
自分に言い聞かせて また転がろう きっとまだ楽しめる

引用:B’Z「きみをつれて」 作詞:KOSHI INABA 作曲:TAK MATSUMOTO

2つの退屈

今を生きる人類と、未来を生きる子孫たちにとって環境問題は大きな問題です。
人間が退屈を回避するために、ありとあらゆる活動してきた結果として今があることを考えると、自然な流れだったのかもしれませんね。

今さらになってしまいましたが「暇」と「退屈」の違いを「暇と退屈の倫理学」の中から引用させて頂きます。

 「暇」と「退屈」という二つの語は、しばしば混同して使われる。「暇だな」と誰かが口にしたとき、その言葉は「退屈だな」と言い換えられる場合が多い。しかし、当然ながら暇と退屈は同じものではない。
 暇とは、何もすることのない、する必要のない時間を指している。暇は、暇のなかにいる人のあり方とか感じ方とは無関係に存在する。つまり暇は客観的な条件に関わっている。
 それに対し、退屈とは、何かをしたいのにできないという感情や気分を指している。それは人のあり方や感じ方に関わっている。つまり退屈は主観的な状態のことだ。

暇と退屈の倫理学 國分功一郎 著

「暇があって退屈している人」も「暇ではないが退屈している人」もいろいろな人が生きる現在。
どっちがいいとかわるいとかではない時代だとおもいます。

毎日、つらいことも、いやなニュースとかもありますが、世の中を憂いてばかりはいられません。
只々、毎日、楽しく生きて、死ぬときの後悔が少なくなることを願うばかりです。

本のおすすめ

最後に今回の内容を参考にさせて頂いた本の紹介です。
少しでも興味を持ってここまで読んでくださった方、さらに詳しく知りたい方は是非、購入して最後まで読んでください。
この本を読み終える前と後では、考え方がすこしかわるかもしれません。
是非、この体験を皆様にも味わって頂きたいのです。

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